へなちょこあかりものがたり

その18 「風邪を引いた日」








 はふー……。

「ったく。ちゃんと暖かくして寝ねぇからだぞ」
「……うん……」

 おふとんの中にくるまって。
 私はいま、口に体温計をくわえて横になってたりするのです。

 ぴぴっ、ぴぴっ、ぴぴっ

 いつもは気にならないような小さな音なのに、頭がガンガン揺れるみたい。
 そんな私の口の中から体温計を取り出して、浩之ちゃんはそれを手にとって。

「ん……熱はそれほどじゃねえな」
「……そうなの?」
「そう死にそうな声出すんじゃねえよ。ほら、36度8分」
「……ん……」
「ったく、しょーがねえなぁ」

 そう言いながら、浩之ちゃんは私の隣で座布団に座って。
 温度計を入れ物に戻しながら、私に向かって笑いかけてくる。

「おかゆか何か、作ってきてやろうか?」
「ん……」
「よし、待ってろ」

 私の答えにそう返して。

 もう一回、私のほうをちょっと振り向いて。
 ……そんなに不安そうな目で見たら、私まで不安になっちゃうよ。
 病気のときって、いつもより不安になるんだからね。





 ……大丈夫かなぁ、浩之ちゃん……

 10分もしないうちに、心の中の不安の部分がだんだん大きくなってくる。
マルチちゃんがいればよかったんだろうけど、今日はメンテナンスの日。

 あ、そういえば、浩之ちゃん、お料理なんて最近してないよ。

 だんだん、不安になってくる。
 心の中に、暗い灰色の雲がどんよりとふりかかってくる。

 失敗して指とか切っちゃったらどうしよう?
 熱いお鍋に触って火傷しちゃったらどうしよう?

 どんどん、不安になってくる。
 心の中に、暗い灰色の雲が低く低くたれこめてくる。





 ああ、もうダメ。
 不安で不安で、我慢できないよ。

「浩之ちゃん、危ないよぉ!」

 思わず声をあげて、おふとんをはねのけて。
 台所までひとっとびに飛び込むと、浩之ちゃんがコンロの前に立っていて。

 呆れた顔でこっちを見てて。

「あかりぃ、ちゃんと寝てなきゃだめだろ」
「で、でもぉ……」

 手に持っていたおしゃもじを鍋の中に立てて、コンロの火を消して。
 呆れたような顔で、こっちに近づいてきて。

「おら、熱ないか見せてみろ」
「え……う、うん」

 ぴとっ、とおでことおでこをくっつけてきて。

「まだちょっと熱っぽいな」
「ん……うん」
「無理して飛び出して来るなんて……俺のこと、そんなに信用できねえのか?」
「そ、そんなことないよぉ……」
「いーや、その目は信用してない目だ」

 うう……そうかなぁ……。
 確かに、浩之ちゃんにお料理がちゃんとできるかどうか心配だったけど……。
 でも、浩之ちゃんのこと信用してないわけじゃないんだけど……。

「どうするかな」

 感情の見えない声。
 冷たい声。
 浩之ちゃんの声なのに、怖くて目があげられなくて。

「え……」
「あかりは、どうするといいと思う?」
「……う、うん……ごめんなさい……」

 浩之ちゃんの言葉に、私の身体は自然に台所の床の上にひざまづいていく。
 まるで、そうするのが当たり前のことだと言わんばかりに。

「何の真似だ、あかり」

 凍りつくほどに冷たい声を聞いて、風邪のせいじゃない悪寒が全身を走る。
全身が、ビクンと震え、そしてまったく動かなくなる。

「謝れば許してもらえると思ってるのか?」
「え、あ、え……えっと……」

 どう答えていいのか、頭の中がぐちゃぐちゃになって。
 ただすがるような視線で、浩之ちゃんのほうを見つめることしかできなくて。

「立てよ」
「え……」
「立てよ、あかり」
「……う、うん……」

 のそのそと身体を起こす私は、まるで子犬のように脅えた顔をしてて。
 その私の顔を見て、浩之ちゃんはおかしそうに笑って。

「ったく……しょーがねえな、あかりは」
「……うん……ごめん……」
「動けるんだったら、昼飯を作ってもらおうかな」
「……う、うん」

 ……え、それだけ?

 それだけでいいの?

 安心した気持ちと、不思議な、物足りない気持ちとが、私の中で渦を巻いて。
それでも、私はシンクの前に行って。
 ……ニンジンと、ソーセージがまな板の上。
 冷蔵庫の中にはキャベツとトマト。
 流しの下にはタマネギとジャガイモ。

 ……ぱっぱっと、炒め物でもしようかな。

 そんなことを考えている私に、後ろから浩之ちゃんの声が投げ掛けられて。

「お前、パジャマが汗でびしょびしょじゃねえか」
「あ、う、うん」
「そのままだったら、風邪がぶり返すぞ」
「うん……じゃ、着替えてくるね」

 その私の言葉に、浩之ちゃんは呆れたように答えてきて。

「着替えなくていいから、脱いどけよ」
「え、そ、そんなの恥ずかしいよぉ」
「エプロンはそこにあるだろ。それで隠せよ」

 浩之ちゃんのその命令で、感じたものは、安心感。
 浩之ちゃんが、私のことを見てくれるっていう、悦び。

「う、うん……」

 私は、震える指で、ゆっくりとパジャマのパンツを下ろしていく。

 口の中が、緊張でカラカラに乾いてきて。
 心臓も、ドキンドキンとうるさいぐらいに高く鳴り響いて。

 その心臓の音にかき消されそうなほど小さな声で、浩之ちゃんに問いかける。

「……上、も……?」

 泣きそうな声。
 自分でも情けなくなるぐらい、頼りない声。

 でも、浩之ちゃんはすぐに答えてくる。

「当たりめーだろ」
「……う、うん……」

 パジャマの上の、裾のところに手をかけて。
 ……やっぱり、恥ずかしいよぉ……。

 浩之ちゃんの視線を痛いぐらいに感じながら、ゆっくりと裾を持ちあげて。
パジャマ全体が裏返しになるころには、ブラジャーをつけていないおっぱいが
冷たい外気にさらされて。
 頭からパジャマを脱ぎとると、私の身体を隠してるのは、頼りないショーツ
一枚きりになってしまって。

「……ひ、浩之ちゃん……あの……」
「それも汗で濡れてるんだろ?」
「う、うん……」

 問いかけることも許されなくて。
 私は、その薄い布をゆっくりと引きおろしていく。
 足首からショーツを抜き取って、横に置いたパジャマの上にそっと置いて。
それから、私はおずおずと顔を上げた。

「……も、もう、エプロン着けてもいい……?」
「あ? あたりめーだろ。ったく、いつまでたってもとろいな、あかりは」
「う、うん……」

 冷蔵庫の前に下げてあるエプロンを取って、首から被って、背中で結んで。
まだ恥ずかしいけど、とりあえずおっぱい、と……アソコは見えなくなった。

「もういいか? あかりの看病してて、腹減ったんだよ」
「あ、う、うん、今すぐ作るから!」

 慌ててそう答えて、再びシンクの前に立って。
 ほとんど剥き出しの背中に、浩之ちゃんの視線が突き刺さってくる。

 ……あ……やだ、恥ずかしいのに……
 恥ずかしいのに、どうして……

 ビクン、と身体が震えて。
 つうっ、と太股を汗じゃない液体が流れ落ちて。

 意識しないようにしようとすればするほど、
 意識をお料理に集中しようとすればするほど、
 その恥ずかしい感触が頭の中を染め上げてきて。

「……あ……」

 がたん。

 思わず声を漏らしたとき、後ろで、浩之ちゃんの立ち上がる音がして。

「……だ、だめ!」



「……何がだ?」

 振り向こうとした手が何か柔らかいものに止められて。
 私は慌てて身体を起こす。
 ……起こす?

 まわりを見回すと、ここは私の部屋の中。
 パジャマもちゃんと着たままで。
 部屋の入り口に、手鍋を持った浩之ちゃんが立っていて。

 あきれた顔で、私のほうを見てた。

「……ほれ、お粥。おめーみたいに上手く作れるわけじゃねーけど」
「あ、う、うん」

 何だか、浩之ちゃんの顔がまっすぐ見れないよ……。

「とりあえず食えよ。なんなら食べさせてやろうか?」
「え、う、うん。ちょっと恥ずかしいけど……」

 キスするみたいに目を閉じて。
 あーん、と口を開けて。

 ……レンゲのかわりに、ぺし、が飛んできた。

「あ」
「真面目に取んじゃねえよ。冗談だ冗談」
「……えへへ」

 ちょっとお焦げの味がしたけど、とっても美味しいお粥でした。
 ありがと、浩之ちゃん。





<つづく>
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