へなちょこセリオものがたり

その1「紅と緑」








 こぽこぽこぽ〜……っ。

「ふぅ、こんなもんか」

 お茶の葉っぱって、どれだけ入れるものかよくはわからないが。
 こんくらいで、いつもマルチが入れてくれるのと同じくらいの色合いだろう。

 今日は、何か先輩がマルチに話があるそうで。
 マルチが先輩とセリオに『ご挨拶』を始めてしまった為、傍で見ているのも
精神衛生上よろしくないので……1人寂しくお茶でも入れようと思ったわけだ。

 とん、とん、とん……。

 俺は湯飲みを5つ、お盆に載せて階段を上り。
 俺とマルチと先輩とセリオに、まだ来てないけど綾香の分だ。
 まだ来てないとは言え、綾香のことだ。
 きっとまた先輩の鞄から、何事もなさげに出て来るに違いない。

「お〜い、先輩っ! お茶が入ったよ〜」

「…………」

 ぺこり。

 階段を上がりきったところに、先輩が立っていた。
 セリオが俺の部屋の前で立ち番をしている。
 ……いや、何か部屋の中の様子を窺っているようにも見える。

「先輩、どうしたの?」

「…………」

 静かに……って、何が?

「どうしたの?」

「…………」

 ふるふるっ。

「…………」

 ……何? うちで暮らしている男の子をマルチに紹介したら、どっちも一目
でお互いを気に入っちまった?
 それが用事だったのか? ……んでもって、お邪魔だから私達は出て来たぁ?

「ちょ、ちょっと先ぱ……も、もがふがっ」

「…………」

 ふるふる。

 叫びそうになった俺の口を、普段からは想像出来ないような速度で押さえる
先輩。
 って言うか、先輩の手って柔らけぇ……いい香りがする……。

「…………」

 え? くすぐったい?
 ……あ、つい鼻息が……。






「……で? どうして俺がその場にいたらいけないんだ?」

 そのままそこで話しているわけにもいかないと、居間に連れて来られた俺。
 その間中、先輩に抱きかかえられるように口を押さえられていて。
 ……ちょっと、得した気分だ。

「……やはりマルチさんが浩之さん以外の男の子と楽しそうにしているところ
を見たら、心中穏やかではいられないのではないかと」

 ……こくり。

 おいおい……俺って、そんなに了見の狭い奴だったのかなぁ。
 まぁ、確かにいい気分はしないけどさ。

 でも大丈夫、俺はマルチを信じてるのさっ。

「ですから、代わりに……」

 そこで耳のセンサーに手を当て、急に押し黙るセリオ。

「ん? どうした、代わりが何だって?」

「……いえ。実は先程、浩之さんの部屋のドアに盗聴機を」

 ……おいおい。
 さりげなく、何てことしやがる。

 っていうかそれ、受信機なのかよ。

「あ」

 …………。

「な、何だ今の『あ』はっ!?」

「い、いえ……何でもありません」

 嘘を言うな、嘘を。
 顔真っ赤にしやがって、わかりやす過ぎるぞ。

「……ちょっと、それ貸してみ」

「ああっ、そんなご無体な」

 ええい、抵抗するでないわっ。
 とか思いながら、半ば無理にセリオの耳センサーを引っぺがした俺。

「ううっ……初めてお見せするのは、ご主人様になる方だと決めていたのにっ」

 露わになってしまった耳を、恥ずかしそうに隠しながら。
 ……そう言えばこいつら、耳を出すのは恥ずかしいことなんだっけ。

「……悪いな、ちょっとだけ借りるぞ」

「……はい」

 こくん……ぽっ。

 ……な、何故そこで頬を赤らめる!?






 ……んで。
 まだセリオの温もりが残るセンサーを、何気に耳に当てる俺。
 そして、そこから聞こえて来たものは。

『いやぁ……そんなところ舐めたら嫌ですぅ』

 ……おい?

『はふっ……んふぁ……あ……ああっ……』

 ちょっ……ま、マルチ!?

『わ、私……もう駄目ですぅ……んくっ』

 い、一体人の部屋で何をやってるんだ!?

「……俺、様子を見て来る」

「いけません、浩之さん」

 セリオが、居間の出口に立ちふさがる。
 突き飛ばしそうになるのを何とか押さえつつ、俺はゆっくりとその前に立ち。

「……どいてくれ、セリオ」

「……はい」

 すっ、と音もなく脇に避けたセリオ。
 ……何で、こんなにすんなりと……?

 まぁいいさ、早く俺の部屋に行くぞ。






 何か悪いことでもしているかのような気分だ。
 俺はそろそろと階段を上り、自分の部屋の前に立ち。

 ドアをノックするや否や、そのまま叩き開ける。

 ばんっ!

「お前ら、何やってやがる!?」

「あ……浩之さぁん……」

 マルチは、俺のベッドに横たわっていた。
 その着衣は乱れに乱れ、紅潮した頬を手で押さえて荒い息を吐いていた。

「な、何があった!?」

「あ……は、恥かしいですー……」

 そそくさと衣服を整え、立ち上がるマルチ。
 ま、まさか……。

「あ、あうう……そのぉ……」

「何だよ、何があったんだよ?」

「この子と遊んでたら、途中からぺろぺろされちゃいまして」

 てへっ、とマルチが指差す先は。
 俺の机の上で、気持ちよさそうに丸まっている黒猫がいた。

「ね……猫ぉ!?」

「は、はい。……そのぉ……舌使いは、浩之さんよりも……」

 ぽっ。

 赤くなったマルチは、思い出すように首筋をさすって。

「そ、そうか……ははは、は……」

 ね、猫なら猫と言ってくれればいいものを……!
 くそう、寿命が縮まったぜ。






「どうでしたか、浩之さん?」

「……元気なオス猫らしいな」

「…………」

 セバスチャンが世話してる猫ぉ? ……どうです、可愛いでしょう……って
言われてもなぁ……。先輩が学校で拾った猫と一緒で、何だか小憎らしい印象
を受けたぞ、俺は。

「何で猫だと言わなかった?」

「はい、聞かれませんでしたから」

 『男の子』って言っただけじゃ、普通は親戚の子供か誰かだと思うだろ。

 むぅ……この2人にこんなことをさせるのは、綾香くらいしかいない。

「綾香、その辺にいるんだろ?」

「……あちゃー、バレちゃった」

 頭の上から聞こえた声。
 俺が天井を見上げると、丁度綾香がスカートを翻しながら降りて来るところ
だった。

「えっへっへー、浩之の困った顔も見物だったわよ?」

「うむ……確かにいいモノを拝ませてもらった」

 俺は、綾香の腰の辺りに向かって合掌した。
 すると、みるみる赤くなる綾香の顔。

「……まぁ、いいわ。ちょっと意地悪だったからね、今回は」

「何っ? 『今回は』ってことは、またそのうち綾香の下着を拝めるのかっ!?」

「違うっ!」

 そうだとは思ったのだが、つい……。

「……まぁいいけど、あんまり酷い悪戯はしてくれるなよ」

「……ごめんねぇ」






 必要以上に別れが辛そうなマルチから猫を受け取り、帰り支度を始めた先輩。
 綾香は冷えたお茶を一気に飲み干しつつ、ちらちらと俺の方を窺っていた。

「……ねぇ、怒ってる?」

「……いや、これっぽっちも全然それはもう全くさっぱりと……忘れたさ」

「ううっ、やっぱり怒ってるぅ〜」

 ごめんねごめんねと、しつこく付きまとう綾香に溜め息を吐きながら。
 何か今日の俺、自分でも嫌な感じだったな……。






「…………」

 ぺこり。

「そんじゃ、またね」

 静かにお辞儀する先輩と、ぱたぱたと手を振る綾香を見送って。
 
「ああ、またな」

 さぁて……俺の部屋の掃除が大変だぞう。
 思ったより多いからな、動物の抜け毛って。

「ううっ、猫さん帰っちゃいました〜」

 指をくわえながら、寂しそうに先輩の背中を見送るマルチ。
 そんなマルチを見ていると、自分が妙に悲しく思えてくる。

 そうさ、どうせ俺は猫にも負けてるんだよっ。
 畜生……って、猫に負けた奴の言うセリフじゃないな、ははは……。

「あれれ? 浩之さん、何だか寂しそうですぅ」

「そ……そんなことないぞ、きっと」

 だってさ、俺との時は滅多にあんな声は出さないくせに……。
 いや、それはそれで結構イイ声出してるんだが。
 ……何か今日は、めっちゃ打ちのめされた気分だった。






「さぁて、今日の飯は何かなぁ」

「はい、はんばーぐですぅ☆」

「……ですぅ☆」

 ……んっ?

「のわっ!? せ、セリオが何でここにっ!?」

「あれれ? 浩之さんがご主人様になったんじゃぁ……?」

「知らんぞ、断じて知らん」

 そういえば、先輩と綾香の2人しか見送ってなかった気がするが……。

「そんな、浩之さん……貴方が私の初めての殿方ですのに」

「そういう誤解を招くような言い方は止めろっ! マルチも、そんなに真っ赤
になるんじゃないっ! きっと意味が違うっ!」

 っていうか……確かセリオは、『初めてお見せするのは、ご主人様になる方
だと決めていた』って言ってたから……。
 ってことは、初めて見た俺がご主人様ってことかぁ!?

「はい、気を付けます。それではこれからよろしくお願いします、ご主人様」

 ぺこり。

「ま、待て! お前のご主人様は綾香じゃなかったのか!?」

「いえ、綾香さんは『女王様』です」

「……綾香がそう呼べって言ったのか?」

「……冗談です」

 冗談でも笑えねぇ、なまじ奴がそれっぽいだけにな……。






 泡を食ったのか飯を食ったのかよくわからなかったが、とにかく夕食を食い。
 マルチに洗い物を任せて、俺は自分の部屋でセリオと向かい合っていた。

「綾香さんには『行きたいところへ行っていい』とお許しをいただいています。
そして、私はマルチさんと一緒に暮らしたいと思ったのです」

「……何故だ?」

「……マルチさんが、とても羨ましいのです」

 セリオは目を閉じ、両手を胸に添えて。

「私も、マルチさんのような『心』を……『暖かい気持ち』を感じたいのです」

 ……そうか。
 マルチは完璧なセリオに憧れ、セリオは優しいマルチに憧れ。
 セリオは自分に心がないと思い、それが自分を殻に閉じ込めてしまっている
のか。

 自分で自分に限界を作っている奴には、周りが何を言っても無駄……自分で
その壁を崩すしかない。
 今のままの状況では、成長は望めないかもしれない。

 つまり綾香は、そんなセリオに成長して欲しくて、セリオをどっかに修行に
出したいけどそれも心配だし、俺のとこならそこら辺の心配もないに等しい。
 で、『行きたいところへ行け』なんて言ったら、こいつがマルチ……つまり
俺のとこに来るのはわかっていたわけで。

 最初から、あいつの作戦だったのか?

「……それは、セリオが考えて出した結論か?」

「はい」

「なら、いい。それに、マルチも喜ぶだろうし」

「……ありがとうございます」






「あの……」

「ん?」

「……こんな私でも、『心』を得ることが出来るでしょうか?」

 セリオの問い。

 それは、簡単なようでいて。
 そして、とても難しそうで。

 だけど、俺の答えは決まってる。
 セリオがそう思うこと自体が、『心』の証。

 だから、俺は言う。

「……お前がその気持ちを忘れなければ、な」

 何かを思う気持ち、それ即ち心。
 それが、セリオの心。

 ……俺に出来ることは、きっと多くはない。
 だけど……セリオが自分で気付くようにしてやることくらいは出来るんじゃ
ないか?
 それに気付いた時……セリオは、どんな風に変わるのだろう?

 ……いや、変わらないかもしれない。
 変わる必要も、ないかもしれない。

 セリオはセリオ……それで、いいじゃん。






「では、ようこそ……って、違うな。それと『ご主人様』ってのは、なしだ」

「はい」

 俺はセリオが頷いたのを見て。
 それから、両腕を大きく広げ。

「お帰り、セリオ。今日からここがお前の家だ」

「……ただいま戻りました、浩之さん」

 たたっ……ぽすっ!

「……お前をなでなでするのは初めてだな。してもいいか?」

「……はい」

 頷いたセリオに、ちょっと安心して。

 なでなで……。

「あ……」

「ん?」

「な、何だか変な気持ちです」

「そうか?」

「でも、不快なわけでは……むしろ、気持ちいいです」

「そうか」

 マルチなら、『幸せ』って言うかもしれないな……。
 
 洗い物を終えたマルチに発見されるまで、俺はセリオを抱いたまま。
 初めて見た、セリオの幸せそうな表情に見とれながら。
 ずっと、ずっとなで続けていた……。






 マルチが『ずるいですぅ、私もなでなでしてくださいぃ〜』なんて言い出し
たから、結局腕が上がらなくなる程なでなでしたのは……3人の秘密だ。






<……続きません>
<戻る>