へなちょこセリオものがたり

その92「ザ・フライ」








 ぶぅ〜ん……。

「……もうハエの季節なのか」

 つっても、飯時にその辺飛ばれてると何だな。

「……駆除しマス」

 ぴっ!

 セリオはそう言ったかと思うと、持っていた箸でハエをつまんだ。
 全く予備動作がなかったもんで、危うく見逃すトコだったぜ。

「すごいな、セリオ」

 よく見ると、箸の先でハエがじたばたしているのがわかる。
 潰す程には力を込めず、かといって逃げられる程に弱くもなく。

 ううむ、やるなっ。

「…………」

 じーっ……。

「どうする? 外に逃がす?」

「……そうですね、そうしましょう」

 お前……今、一瞬あーんって口開けなかったか?
 まさか食う気だったんじゃないだろうな。

 からからっ……ぺいっ……ぴしゃん。

「逃がしました」

「おう、お疲れ」

 さぁて、それじゃ飯の続きを……。

「って、セリオ? どうして俺の隣に座る?」

「ええ……浩之さんに、ご飯を食べさせて差し上げようかと」

 たった今ハエをつまんだばかりの箸を、器用にかちかち鳴らしながら笑って
いるセリオ。
 ……マジで怒るぞ、俺。

「洗って来い、或いは別の箸を使え」

「おやまぁ、余計な洗い物を増やせとおっしゃる」

「……食欲が失せた」

 このままここにいたら、本当に食わされそうだ。

 がたっ……。

「あら、もうよろしいので?」

「ああ」

 ったくもう。






 って……。

 ぶんぶんぶんぶん。

「は、ハエが一杯!?」

 冷蔵庫から何か飲み物でも出そうと、キッチンへ向かった俺だったが。

「どうかしたんですかぁ、浩之さん?」

「まっ、マルチ……これは一体……」

 何も知らずに入って来たのか、キッチンの惨状を見るなりマルチも顔を引き
つらせた。

「……あ、生ゴミ入れの蓋が開いたまんまだ」

「あう、すっごい色した生ゴミがあんなにあるですぅ」

 ……勝手口のドアが開いたまんまだし……外からコレの臭いにつられて来た
分も随分あるんだろうか。
 っつーかたっぷり溜め込んでたんだな、マルチ。

「捨て忘れが随分溜まってたみたいですぅ、えへへ」

 『えへへ』じゃねぇ。

「おーい、セリオぉ〜」

「はい? 何でしょう、ハエの大量発生でも起きましたか」

 ……知ってるんじゃん。

「何とかしてくれよぉ」

「折角養殖したのに……」

 ううっ、こんな台所じゃ飯も作れないぜ。
 っていうか、マジで食う気が全然しない。

「……マルチさんに、コレを」

 セリオは、大きな金色のハエ叩きを取り出した。
 無論、髪の中から。

「……何で金色なの?」

 趣味悪ぅー。

「『ゴルディオン・ハエ叩き』です……叩いたハエを光にして昇華・消滅させ
ますから、潰した体液や死骸などに『うわ、マジかよコレーぐちゃぐちゃー』
などと思うこともありません」

 は、ハンマーの仲間かよ。
 っつーかハエ叩きを髪の中に入れてるなんて、セリオちゃんって不潔ぅ。

「……念の為言っておきますが、触れたもの全てを光にする為そのハエ叩きの
表面はいつでも清潔爽やか・無菌状態なのですよ」

「むぅ」

 そうなのか、つまらん。






「マルチ、はいコレ」

「あ、これで全部綺麗に出来るですぅ」

 笑いながら手をスカートに突っ込み、今日も素敵にでっかいグローブを一瞬
で装着するマルチ。

「発動承認ですぅ☆」

 きらりんっ☆

 金色のハエ叩きをきらめかせながら、マルチは次々とハエを打ち落とし始め。
 妙な笑い声と共に、ハエはどんどんその数を減らして行った。

 しぱぱぱぱぱぱっ☆

「ふふふのふっ、みんな光になるですぅっ♪」

 ふぅ……。
 全く、一時はどうなることかと。

「えーと……後はどこに……?」

 ぶ〜んっ……ぴとっ。

「ん?」

 鼻の頭に、何かが止まった感触。
 うわ、ハエじゃん。

「仕留めるですっ! お覚悟っ!」

 かっ、覚悟って……俺の顔まで光にされるぅぅぅぅぅっ!

「……マルチさん、そこまでデス」

 ぶんっ……げいん。

「はぅっ」

 ぷちっ。

「な、何か今潰れたような音が……」

 俺が眼を閉じる一瞬前、セリオの姿が見えて。
 彼女は、でっかい黄金のハンマーを振り下ろしていたのだった。






 恐る恐る薄目を開ける俺。
 そこには、床にめり込んだハンマーを満足そうに眺めるセリオ。
 マルチの姿は、どこにも見えなかった。

「あ、あのさぁ……」

「はい?」

「『ぷち』って、何の音?」

「……ああっ!?」

 ばばっ!

 セリオは慌ててハンマーを少しだけ持ち上げて……。

「……ぁぅ」

「う、うわぁ……」

 え、ええと……例えるなら、スリッパや新聞紙と果敢に戦った油虫……。

「な、何も見なかったことにっ」

 ……どっすん。

 冷や汗かきながら、とりあえずハンマーを元通りに戻すセリオ。

「ふぅ♪」

「爽やかに汗を拭うなぁぁぁ!」

 ぐーで殴ってやるっ! いやマジで!

 がいん☆

「でっ、デリケートなんですからもっと丁寧に殴ってください……」

 どういう状態なんだ、そりわ。

「ほほう、お前がそれを言うか?」

 俺は親指を立てて、床にめり込んだままのハンマーを示す。

「……一切言い訳いたしません」

 ふかぶか。

「いや、頭下げられても……」

「……で、どうしましょうか?」

 あ、何かけろっとしてるし。

「……どうしようかねぇ……」

 と、とりあえずその辺の掃除から始めようかなっ。

「さぁセリオ、あんなにハエが飛び回ってたんだ……気合い入れて掃除するぞ」

「え、ええっ……やはり清潔が一番ですよねっ!」






 んで。
 マルチが不憫で我慢出来なくなった俺は、長瀬のおっさんを呼んだのだった。

「アレの下に……」

「全く……仲よく喧嘩しなって、いつも言って聞かせてるんだが……」

 よっこらせっ、と連れてきたスタッフ連中にハンマーを持ち上げさせる長瀬
のおっさん。

「ほーい、もう少し……うわ」

 あ、多分俺と同じコト考えてる。

「……そのまま、元に戻してくれ」

 眼鏡を外し、ちょっと両目を揉み解して。

「藤田君……」

「はい?」

「君は、卵持ちの油虫を潰した経験はあるかね?」

「……はぁ?」












 そして、その次の日。
 ハエ事件の直前までしか覚えてないマルチが、元気に帰ってきたのだった。

 ……いいのかなぁ、本当にこれで……。






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