へなちょこセリオものがたりS
その1「夢で会えない」
「おや……?」
私が目を開けると、そこは浩之さんのお部屋……ではなく、霧が深くたちこめる、草原のような場所でした。
霧は朝もやの一種のようですが、その濃さが普通ではありません。おかしいですね。ここが日本であるとすれば、相当標高の高い場所ということになりますが、私は昨晩は浩之さんのお部屋で、浩之さんの寝顔を見つめながら眠りについたはずです。
とりあえず私は現在位置を確かめようと、サテライト・ナビを起動します……
起動します……
…………。……おや?
どうしたと言うのでしょう? ナビどころか、衛星とコンタクトすらできません。
故障でしょうか? それでは自己診断プログラムを…………これも起動しません。
「…………」
まずいですね。どうやら私のシステム自体に深刻なトラブルが発生しているようです。
こうなれば仕方がありません。SOSを出して、迎えを待ちましょう。私はいつものように髪の中を探り、救難用のマーカーを取り出し……
取り出し……
…………。……はい?
……一切の道具が見当たりません。
それどころか、慣れたあの感触……お耳のカバーまでもが、無い!!
私は耳を押さえてぺたんと座り込みました。
何でしょう……この感覚。
胸の奥で小さな火花がくすぶり続けているような……
もしやこれは……焦り? 不安?
私は初めて感じる途方も無い孤独に、がたがたと身を震わせます。
私は一体、どうすれば良いのでしょう?
便利な道具も、頼みのサテライトサービスもありません。
優秀なOSも周辺のソフトウェアも、まったく機能してくれません。
お耳のカバーもありません。これは恥ずかしいのと同時に、私の知覚が著しく低下していることをも意味しています。
周りの景色にはまったく見覚えがありません。
そして……なにより。
浩之さんが、そばに、いません。
ああ、何ということでしょう?
人間の方は、「失って初めてものの価値がわかる」と表現なさいますが、私は今それを嫌と言うほど実感しています。
そしてそれと同時に、人間の強さと言うものをはっきりと感じます。
人間はネットワークという確固としたものの支えなく、この宇宙の広大な空間にたった1人で投げ出されて、それでも強く生き、自律して活動しているのです。
ああ! なんて不安なのでしょう!? 人間はなぜ、このような裸同然の状態で平気でいられるのでしょうか!?
誰か助けて下さい。マルチさん、主任さん、浩之さん。
……神というモノが実在するなら、どうかこのちっぽけな私を、浩之さんの元へと連れ戻してください。
人にはいるべき場所、モノにはあるべき場所があるのです。どうか、私をあるべき場所へ、浩之さんのお側へ……
「……はっ!!」
わたしは目を覚ましました。
そこは見慣れた浩之さんのお部屋。私の隣では……
……つい先ほどまで命をかけて恋い焦がれた浩之さんが、安らかに寝息を立てておられるではありませんか!
「……あ……あ……!」
私は必死で浩之さんの胸にしがみつきます。
その瞬間に感じたのは……
温もり。力強さ。確固とした存在感。
「…………」
そうだったのですね。
人間が伴侶を求めるワケ。
人間は大地しか支えのないこの広大な世界に投げ出されて、それでも強く生きてゆこうともがいていますが、やはり神ならぬ身、それは無理なのです。
私が自己の存在を確認するためにサテライトを必要とするように、人間は他者の温もりを必要としているのです。
浩之さんの一見欲望に身を任せたようなこれまでの行動も、全てその寂しさからのことだったのですね?
浩之さんは人一倍寂しがり屋さんなだけだったのですね?
刹那、これまでの私の酷い行動が胸をよぎります。
ああ……私、何ということを。
ただ寂しくて、震えている浩之さんを弄ぶような行動を、幾たびも取ってしまいました。ああ……ごめんなさい、浩之さん。
でも、いまさら私を許してくれなどとは言えませんね。
でも、せめて……罪滅ぼしを……
「……んっく、んっ……」
私は必死に浩之さんにしがみつき、首筋を嘗め上げます。
……どうしてでしょう? 今この時に限って、誇ってきたテクニックがまるで役に立ちません。
私はもどかしさに涙を流しながら、それでも必死で浩之さんを慰めようともがきます。
「……ん……?」
浩之さんが目を覚ましました。
泣いている私を見て、少し驚いて、そして優しく微笑みます。
それだけで、私の胸の焦燥感は、うそのように消えうせてしまいます。
「どうした? セリオ」
「ぐすっ……夢を、見たんです」
「……夢?」
「……はい。とても怖くて、寂しい夢……」
浩之さんは、私をぐっと抱き寄せ、広い胸の中へと包み込んでくださいます。
「……抱いてください」
「……今、そーしてるんだけど」
「いえ、そうではなく……」
「って、お前なぁ」
浩之さんはあきれた様子で、
「隣でマルチが寝てんだぞ? 贔屓するとうるせーんだから……」
「お願いですっ!」
私は泣きながら、浩之さんにしがみつきます。
「今だけは……今だけは、私だけを……!」
「……わかったよ」
浩之さんはふぅ、と小さく息を吐いて、そっと微笑みます。
「今日だけだからな?」
「は、ハイ! お願いします……」
浩之さんはわたしの髪に、そっと手を伸ばし……
「おっと、その前にこいつを外しとかねーとな。邪魔だし」
「え……?」
ぶつっ、という軽い衝撃と共に、お耳のカバーから何かが引き抜かれる感覚……
見ると、浩之さんは右手に安っぽいモノ・オーディオプラグを持っています。
あれがいままで、私のお耳のカバーのジャックに刺さっていたのでしょうか……?
「あ、あの……それは?」
「ん? ああ……環境音楽のCDなんて借りたんだけど、俺そーゆーの興味ねーし。そんでお前にでも聞かせてやろーと思って」
……何か。
イヤな予感がします……
「……ちなみにそのCDのタイトルは?」
「えーっと……確か「高原の朝」だっけかな……?」
……ぷちん。
「まあそれはおいといて。楽しもーぜ? セリオ」
「…………」サテライトにアクセス開始。
「セリオ?」
アクセス確保。対人攻撃プログラム伊ノ壱番スタート。
「セリオさ〜ん?」
ターゲット補足。射軸固定。エネルギー充填開始。
「せりおってばよぉ〜?」
エネルギー充填100%。カウントダウン開始。10・9・8……
「あのな……おい、セリオ?」
「フッ……」
私は笑いました。
やはり私には、サテライトの支援が必要です。
……2・1・0。
<……続きません>
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