へなちょこ綾香ものがたり

その1「やって来た彼女」








 ある晴れた日曜日の、清々しき朝。
 珍しく早起きした俺はいい気分で用足し・洗顔を済ませ、居間へ赴いた。

 で。
 そこでは神妙な顔をした綾香が、俺の分の朝飯をぱくついていたわけで。

「……というわけで、しばらく厄介になるわ」

「何が『というわけ』なんだよ」

 ほっぺに飯粒付けて真面目な顔すんなよ、この。 

「何で綾香がうちにいるんだよ?」

「あのぅ、先程大きな荷物を抱えて来られて……」

「世間一般で言うところの『家出』という行動に分類出来るかと」

 ……家出ぇ?
 大きなお屋敷で、何不自由なく暮らしていると思っていたが……何が不満だ
というのだろう。

 横目で部屋の隅をちらりと見ると。
 マルチならすっぽりと収まってしまいそうな大きなバッグが、3つ程並んで
置かれていた。
 ……こりゃ、家出だとしたら本格的だな。

「……ふぅ、ご馳走サマ」

 綾香は満足気に箸を置くと、両手を合わせて一礼した。

「……俺の朝飯は?」

「あうう、もうないんですぅ」

 がくっ。

「あはは、ごめんねぇ。陽も昇らないうちに出て来ちゃったもんだから、お腹
空いてたのよ〜」

 けらけらと、元気な笑い声。
 おいおい、家出したにしては……?

「……で? 理由くらいは聞かせてくれるんだろうな?」






「……何っ? 見合いぃ〜?!」

「ね? 嫌でしょ、浩之も。会ったこともない人と結婚するなんて、私は絶対
に嫌だかんね」

 居間のテーブルに向かい合っていた俺達。
 綾香は自分の意見に同意を求め、身を俺の方に乗り出していて。

「い、いきなり結婚まで話が飛ぶこともないだろうが……」

 ちっちっち。

 すらりとした綺麗な指先が、優雅に俺の目前で振られ。

「甘いわね。上流階級ってのは、お見合いイコール結納なのよ。見合いの場に
出た以上、最早逃げることも出来なくなっちゃうから……」

「で、話が出た時点で逃げて来たと」

「ご名答ぉ〜☆」

 おいおい、何でそんなに嬉しそうなんじゃい。

「……先輩は、大丈夫なのか?」

 先輩の名を出した瞬間、ちょっとだけ綾香の表情が曇った気がした。

「姉さん? ああ、大丈夫よ。ああ見えて姉さん、今まで見合い話も結構な数
があったのよ」

「何? それは初耳だな」

「でもね、見合いの前日になると……相手が必ず原因不明の体調不良に陥って
しまうのよ」

「体調不良?」

 ほほう、尋常な話じゃあないな。

「高熱、下痢、吐き気、頭痛、腹痛、ものもらい、歯痛、深爪などなど……。
しかもどれもが尋常なレベルじゃなくて、ひどい人は入院までしたって聞いて
いるわ」

 最後の深爪ってのは何だよ、一体。 
 ま、まぁ何にしても先輩は自分の身は守ってるってことか。
 『原因不明』ってことで落ち着いてはいるようだが、明らかに先輩の魔道の
力だろうからな。

「ところで、どうしてうちだったんだ?」

「何が?」

 ずずー……っ。

 マルチが出して来た、食後のお茶をすすりながら。
 さも他人事のように答える綾香。

「……セリオ、セバスチャンに連絡してくれ」

 俺が冷たく言い放つと。
 セリオが頷く前に、綾香がテーブルを乗り越えて俺に縋り付いて来た。

 がたがたがたっ。

「ああっ! 待って、お願いだから置いて頂戴よぉ〜」

「ただでさえ若い娘が2人に男が1人で近所に怪しまれてるのに、お前までも
うちに住むと?」

「だ……だってぇ……浩之なら、きっと助けてくれると思ったのよ……」

 すとん、とテーブルの上から床に下りると。
 俺の傍にぺたんと座り込み、眼の端に涙を浮かべて。

 うるるっ。

「お願い、私も普通の女の子として生きたいの……」

 ……まぁ、見合い結婚ってのが幸せでないかどうかは別として。
 無理に縁談を進められるってのは、俺としても気の毒に感じる。

 とはいえ、もう1人増えるとさすがに家が手狭になるし……。
 かといって、そんな理由で綾香を見捨てるわけにもいかない。

「……とりあえず1日だけだぞ。その後のことは様子を見て決める」

「ほ、本当?!」

 だきっ!

「お、おい?!」

「ありがとう、浩之っ!」

 ちゅっ☆

 頬に触れる、柔らかい感触。
 マルチとも、セリオとも違う優しい香りが俺を包み込んでいく。

「あ、綾香……?」

「こ、これは今日の分の家賃代わりよっ」

 や、家賃?
 ……値上げしたら何してくれるんだろう(爆)。

「お、おう……」

「さて、と……それじゃあ荷物を片付けますか。浩之、手伝ってくれるでしょ」

 ……とりあえず今日だけだって言ってるのに。
 こいつ、このまま居つく気だな?

 ……まぁ、それでもいいか。

「はいはい……わかりましたよ、綾香様」

「ほっほっほ、お願いするわね」






 ……と。
 何故か俺の部屋に運び込まれた綾香の荷物。

 お袋の部屋を使ってもらおうと思ったのだが、綾香に断固拒否されてしまい。
 ……間違いが起きても責任取れないぞ、って言ったら……『その前に、命を
落とすことになっても知らないわよ?』なんて言われて。

 ……綾香の気持ち、一体俺はどう取ればよいのだろうか?






<……続かないのよ>
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