へなちょこ綾香ものがたり

その7「あれは誰だ」








「ふぅ、今日もいい調子だわっ♪」

 庭先で『日課』の瓦割りを終えた綾香が、居間に入ってくる。

「どうでもいいけど……その瓦、いつ用意してんだよ?」

 毎朝50枚程割っているそうだが、家の中にも周りにもそんなものが積んで
あるところは見たことがない。
 果ては割った瓦の行く先だが……それこそ、少し目を離した隙にいつの間に
やら綺麗に姿を消していたりする。

「ふふっ、女の子には秘密が一杯なのよ」

 その時俺の視界に、綾香に隠れるようにして動いている黒い人影が映った。
 瞬きした次の瞬間には、その姿は消えていて。
 来栖川家の黒子なんだけどね。
「……あれ?」

「何よ、そんなに私に見とれて……嬉しいじゃないのっ♪」

 だきっ!

「違っ……」

 お前の後ろの、黒い何かを見ていたのに。
 などと言い訳する間もなく、俺は綾香に押し倒されていた。

「さぁて……それじゃ、次の『日課』に……♪」

 するするっとトレーニング用のシャツを脱ぎ捨て、下着だけになる綾香。

「ま、待てっ! せめて窓とカーテンくらいは閉めてくれっ!」

「気にしない気にしない……女の子みたいなこと言わないのっ♪」

「お前が少しは気にしろよぉぉぉ!」












「ったく……少しは恥じらいってモノを……」

 最早そんな問題では済まないところまで来ている気もするけど。

「ん……わかった……」

 桜色に上気した頬を、恥ずかしそうに押さえながら言う綾香。
 こういう時は妙に素直になる彼女が、妙に可愛く思えてきたりして。

「さ、そんじゃ風呂にでも入ろうか?」

「うん……」






 かっぽーん……。

「ところでさ……さっき、お前の後ろに黒い人影みたいなものが……」

「浩之……アレ、見たの?」

 何故か神妙な声で言う綾香。

 彼女はわしわしと、俺の背中をタオルでこすっている。
 最初はタオルを使わず自分の胸で洗おうとした綾香なのだったが、さすがに
俺がたまらんので滅多に(爆)してもらうことはない。

「あ、アレって……もしかして、マズいもん見ちゃったかな?」

「…………」

 きょろきょろと辺りを見まわす綾香。
 ちょっとして、安心したのか綾香が話し出す。

「悪いことは言わないから、ここだけの話にしといてね」

「お、おう」

 俺が少し怯えつつ返事をすると、綾香は俺の耳元に口を寄せて。

 ……ぺとっ。

「お、おい?」

「仕方ないでしょ♪」

 背中にぴったり密着されて。
 気持ちのいい感触に気を取られながらも、俺は次の言葉を待ったが。

「…………」

 ふ――――っ。

「うひゃおわっ?!」

「ふふふっ、浩之ったらかーわいい♪」

 ぎゅっ☆

「お、お前なぁ……人が真面目に聞いてるってのに……」

「何も見なかったことにしときなさい……いいわね?」

「あ?」

「……いいから」

 ぎゅぅ……。

 声のトーンを落とし、静かに言う。
 ふざけた調子ではなく、真面目な……その雰囲気に圧され、俺はただ返事を
するしか出来なかった。

「……おう」






 その日は、1日中朝のことが気にかかってしまっていた。
 マルチをなでる時も、セリオをなでる時も。

 珍しく2人から上がった不平の声に、時たま我に返ったりして。

「それじゃ、おやすみね」

「おやすみなさいですぅ」

「……おやすみなさい」

 セリオと綾香は俺の両サイド……マルチに至っては俺の上に乗っかって就寝
する。
 セリオや綾香よりマルチの方が軽い、ということで決まったポジションなの
だが……俺的にはちょっと息苦しかったりする。

 でも、悪い気なんかしないけどな。

「…………」

 今日はちょっと、綾香の寝顔を眺めている俺。
 黒い影のことをもっと聞こうとも思ったけど、あの時の綾香の様子が普通で
なかったことを考えると……さすがに気がひけてしまう。

「俺のこと、心配して言ってたのかな……」

 実は来栖川家に仕えるお庭番で、その正体を知った者は秘密保持の為に抹殺
されてしまう……とか。
 先輩が召還した悪魔か何かで、普段は綾香の陰で暗躍しているが……自分の
正体を悟られそうになったら、やっぱりそいつの魂を抜いてしまうとか。

「……漫画の読みすぎかな、ははは」

 と、とりあえず自己完結。
 時が来ればそのうち綾香が教えてくれるだろうと、今日のところは諦めよう
としたのだが。

「んっ……浩之っ……」

 ころん……ぱふっ。

 早くも寝ぼけたのか夢を見ているのか、寝返りを打ちつつ何か喋る綾香。
 押し付けられた頬が、何気に気持ちいい。

「いい夢見ろよ、綾香」

 俺は、柄にもなくそんなことを言ってみたり。
 そして、綾香の頭をなでようとした矢先。

「んー……あなた達、浩之を食べちゃ駄目よぉ……」

 びくっっ。

「そぉそぉ、せめて舐めるだけにしておいて……むにゃむにゃ」

 だらだらだらだら。

「…………」

 あの黒い影って……一体何?
 っていうか複数? しかも肉食?!

「…………」

 ふと、部屋の隅から俺への視線を感じるような気にもなってきて。
 俺は綾香の忠告通り、何も聞かなかったことにして目を閉じるのであった。

 明日の朝、無事に目覚められることを願いながら……。






<……続かないのよ>
<戻る>