へなちょこあかりものがたり

その2 「家出、それとも」








 楽しいお弁当の時間も終わり、私たちは教室に戻ってきました。

 5限目は古典で、浩之ちゃんが苦手な教科の一つ。私は、いつ浩之ちゃんが
当てられてもいいように。それから、浩之ちゃんが昼寝しちゃわないように、
ときどきちらちらと浩之ちゃんのほうを見てたの。
 浩之ちゃん、すごく眠そうに身体を回して、大きく伸びをして。それから、
机の上に突っ伏しちゃった。

 ああ、もう。だめだよ、浩之ちゃん。授業中なんだから。

 でも、外はぽかぽかいい陽気だし、ご飯のあとだからお腹もふくれてるし。
幸せそうに眠っている浩之ちゃんを見てると、私まで眠くなってきちゃった。
 だめだめ、今は授業中なんだから。私がちゃんとお勉強しないと、困るのは
私だけじゃないもん。テスト前に浩之ちゃんの勉強の手伝いをするためには、
ふだんの積み重ねが大事なんだから。

 私は、顔をふるふるっと小さく振って、正面の黒板のほうに注意を向けた。
浩之ちゃんが寝ちゃってるんだもん、浩之ちゃんの分まで勉強しないとね。
 ……でも、ときどき、ちらちらって浩之ちゃんのほうを見ちゃうの。だって
心配なんだもん。

 浩之ちゃん、何の夢見てるのかな? 私の夢だったら嬉しいんだけどな。


 舞台は浩之ちゃんの部屋で、私と浩之ちゃんがベッドの上で横になってて。
二人とも、何も着てないの。アメリカの映画なんかによくあるシーンだよね。

「あかり……可愛かったぜ」

「……え……」

 浩之ちゃんにそんなこと言われるの、初めてだよ。
 私はずっと言ってほしかったのに、浩之ちゃんは言ってくれないんだもん。
 髪型を変えたのも、浩之ちゃんに「可愛い」って言ってほしいからなのに。

 突然そんなことを言われて驚いてる私に、浩之ちゃんの唇が迫ってくるの。
唇と唇が触れ合って、浩之ちゃんの熱い息づかいが感じられる……。やっぱり
浩之ちゃんも興奮してたんだ、嬉しいな……。

 浩之ちゃんの舌が、私の口の中に入ってくる。私の舌と浩之ちゃんの舌が、
じゅるっていやらしい音を立てながら絡み合うの。
 もうそれだけで、頭がぼうっとなってきちゃう。

 あ。浩之ちゃんの舌が私の口の中から出ていっちゃう。一人にしないで。
 そんな私を見ながら浩之ちゃんは優しく笑うと、ゆっくりと口を開くの。

「神岸さん」

 そんな言い方しないでよ、浩之ちゃん……。いつもみたいに「あかり」って
呼んでくれればいいんだから……。

「神岸さん!」

 え? ……あ、先生の声! 私も寝ちゃってたの!?

「は、はい!」

「今は授業中ですよ、神岸さん。寝る時間じゃありません」

「すいません」

 ペコリ、と頭を下げる私を見て、教室の中から笑い声がおこる。
 ふと浩之ちゃんのほうを見ると、浩之ちゃんもいっしょになって笑ってた。
もう。私がいねむりしちゃったのも、半分は浩之ちゃんのせいなんだからね。
浩之ちゃんが、あまりにも気持ちよさそうに寝てたから……。

「それでは神岸さん、ここを現代語に訳してください」

「あ、はい……えっと、『冬は早朝が良い。だんだん白くなってくる山が……」




 浩之ちゃんったら、終わりのチャイムが鳴った途端、荷物をもってさっさと
帰っちゃった。
 ……たまには、一緒に帰りたいのに。

 はっ! もしかしたら、家にマルチちゃんが待ってるから? 浩之ちゃん、
私よりマルチちゃんのほうが好きなの!?
 ううん、だめよ、だめ! ファイト、あかり!

 私もカバンを持つと、あわてて家に帰ったの。
 浩之ちゃんの家に行くって言ったら、お母さん、かなり驚いたみたいだけど。
でも、結局、「毎日連絡する」ことを条件に、行ってもいいって言ってくれた。
 私は、使いなれた料理道具を全部大きなカバンに入れて、浩之ちゃんの家へ。

 「来たよ〜」って言ったら、浩之ちゃん、どんな顔するかなぁ?


 浩之ちゃん、驚くだろうなぁ。だって、突然だもんね。
 驚いてる浩之ちゃんに、私のほうから告白しちゃうんだ。お嫁さんになりに
来たよ、って。小さいときからずっと好きだったんだよって。
 そしたら、浩之ちゃん、もっと驚くだろうな。今まで見たことない真面目な
顔で、「俺もあかりのことが好きだ」って言ってくれるかな。そのまま、私を
ぎゅっと抱きしめて。

 ダメだよ、浩之ちゃん。そんなにしたら痛いよ。
 でも浩之ちゃんは抱きしめた腕を止めてくれないの。

「……手を離すと、お前がいなくなっちゃいそうで、な……」

 大丈夫だよ、浩之ちゃん。私、どこにもいかないから。ずっと浩之ちゃんの
そばにいるから。
 浩之ちゃんの手が私を抱きしめたままゆっくりと私の身体の上を滑りおりて。
熱い手のひらが、私のおしりに下りてきて。優しく私のおしりを撫でるの。

「ん……」

 気持ちいい。思わず声がもれちゃう。ただおしりを撫でられてるだけなのに、
どうしてこんなに気持ちいいんだろう。

「あかり……」

 浩之ちゃんの顔が、私の視界全体に広がってくる。私はあわてて目を閉じて、
ちょっとだけあごを前に出すようにして。
 浩之ちゃんの唇が、私の唇に重ねられる。熱くて、柔らかくて、あったかい。
ぽうっとしている私の唇を割って、浩之ちゃんの舌が滑り込んでくる。
 私の舌と浩之ちゃんの舌が絡み合って、お互いの唾液が混じり合っていく。

「ぷぁ……」

 どちらからともなく唇を離して、見つめあう。

「あかり」

 えへへ……。

「おい、あかり」

 浩之ちゃん、だめだよ、そんなことしたら。私たちまだ高校生なんだよ?

「おい、あかり!」

 えっ、ひ、浩之ちゃん!?

「何あわててるんだよ。……さては、またなんか変なこと考えてたな」

 ぺち。

「あっ」

 気がついたら、ここは浩之ちゃんの家。チャイムも鳴らさずに、ドアの前で
ぼおっとしてたみたい。
 どうしよう。なんて言ったらいいのかな。

「家出でもしてきたのか? 大荷物かついで」

「……ううん」

 私、きっと、思い詰めた顔をしてたんだと思う。浩之ちゃんが、心配そうに
私の顔を見ながら言ってきた。

「ま、とりあえず入れよ」

「うん。……えへへ」

「何笑ってんだよ、まったく」


 がちゃ。

「おかえりなさいです〜。あ、神岸さんいらっしゃいです〜」

 浩之ちゃんが玄関の戸を開けたら、マルチちゃんが元気に飛び出してきた。

「マルチちゃん、今日からよろしくね」

「ほへ?」

 何のことだか判らないという、きょとんという顔をしているマルチちゃんを
見ながら、私は浩之ちゃんに言ったの。

「一階の和室空いてたよね。荷物、これだけだから。ふとんはあるでしょ?」

「え……わーい、うれしいです〜」

 マルチちゃんが嬉しそうに私の周りをぐるぐる回って踊るの。見てるだけで
私まで嬉しくなっちゃうぐらい、顔じゅうに笑顔を浮かべて。

「え、お、おい、あかり!?」

 浩之ちゃんがあわててる。でも朝は私があわてたんだから、お互い様だよ。
私は、玄関の框に三つ指ついて。にこっと笑いながら、浩之ちゃんに言ったの。

「不束者ですが、よろしくお願いいたします」




<続く>
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